2011.3月 アーティストインレジデンス@AIRY山梨

滞在制作に行った時の記録。

20代半ばの頃、生活環境とは異なる土地や場で描くことに専念してみたくて、
国内レジデンス(AIR)を探した。

今から約10年ほど前は大卒&外国人のみ受け入れ可という条件が多く、自分の経歴ではそもそも応募すらできない状況だった。

そのような中、受け入れていただいたのがAIRY山梨。
日本人作家の受け入れは初ということだが交渉に快く応じてくださり、滞在制作が叶った。

レジデンスは元産婦人科医院、スタジオは元ナースステーション。目の前に小学校があり、テラスからはほのぼのとした眺めが広がっていた。時節柄建物を一人贅沢に使うことができたが、夜は流石に暗く怖かった。

搬入出は吉祥寺時代を楽しく支えてもらった今は亡き菅野さん。
絵を続けることができているのは、こうした身近な人たちが惜しみなく助けくれるからであるという思いが強い。

段々と、直接感謝する機会が叶わなくなることが増えてきたが、自分がそうした立場に替わる順番が来たようにも思う。

現地入り後すぐ、主宰の坂本泉さんと案を練っていたワークショップを開催。
水を多く使う自由度の高い自分の仕事なら、日本画材であっても気軽に楽しめるのではと考えた「水から生まれる風景画」のプログラムは、大人が臆せず大胆に絵具を使い、子供がおそるおそる慎重な様子で絵具を落としていく様が印象的だった。


WSを終え制作の日々がようやく始まる。
滞在中は持ち込んだ土鍋での自炊を中心に、地元の老舗丸十パンを食べた。

制作支援として寄付頂いた食事券を使い、西ときわ食堂 さんに日々のご褒美としてカキフライ定食を食べに通っていたある日、食堂のテレビに流れる東日本大震災の前震となる地震のニュースをぼんやり眺めていたことをとてもよく憶えている。
仕事のため帰京していた日に東日本大震災が起き、スタジオに戻ったのは5日後のことだった。
余震で電車が止まるトラブルを経て、底冷えのきつい甲府にはあり得ない妙に生暖かな夜に何とか帰甲。
温度を肌で感じながら、すごいことが起きているのだと改めて思った。
その後はとにかく描いた。

レジデンスでは山々の眺めや自然の気配を受けながら、広い空間を生かしたストロークの大きな絵を描く予定だった。
しかし、当時は外の景色を取材しようなどという気は全く起きず、ただ、今起きていることをしっかり見て記憶しようという風なことを考えていた。

その時考えていたことは今も自分の中にあり、人と風景についてを描く始まりとなった。
関係の有無を問わず人がいなくなるということに言いようのない辛さを感じるので、特に絵で何かをしたいとは全く思わないが、人がいる風景・いた風景を描き考えることで、自分のことを含めとにかく憶えていたいと思う。

参加予定の海外作家の来日取りやめ、成果発表個展も急遽近隣作家を交えたチャリティー展に変更となるが、無事展示はスタジオ・図書館ともに開催の運びとなる。そうして滞在日程を終えることができた。明るい泉さんの支えと、街の人の優しさに助けられた1ヶ月だった。

期間中制作した作品は、一部を除きレジデンス期間終了後すぐに開催した個展(2011.3.31~4.5 K’sギャラリー)で発表した。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次