2024.4月@北海道・小樽

2023年夏。
祖母が他界し、久しぶりに家族が集まった。

すこしでも時間があれば車を走らせ、
週末には仕事帰りの父を待ち構え、車中泊を伴う遠出をすることが日常であった我が家。
今のように500mlのペットボトルでお茶を飲むのが一般的でなかった頃、
移動中の車内では、いつも助手席の母からお茶が配給されていた。

母がおもむろに手を伸ばし、後部座席の私にコップに入ったお茶を渡す。
その仕草に、景色は10代の頃の目線に切り替わる。

一連の流れをつつがなく終え、久しぶりに顔を合わせた家族に妙な違和感を覚えるも、
再び仕事の日々を過ごす。
それから2ヶ月後、母が急逝した。

昭和の典型的な専業主婦の夫で、ごく普通なサラリーマンの父は、
愚痴もこぼさず、働きアリのように真面目に仕事に打ち込み、
これといった趣味を持たない。
けれど、大人になった今、尋常ではなく多かった旅行を思い返すと、
そんな父にも変わっている一面があるのだと気づく。

数え切れないほどの旅をしてきた中で、
お互いに鮮明な記憶として共有できている旅と場所がいくつかある。
そのひとつが20年以上前に訪れた、小樽のイオンだ。

母を失い、ひとりになってしまった父は、
同時に旅行に出かける機会も失ってしまった。

このままでは病気になってしまうのではという不安と、
自分自身を慰めたい気持ちも重なり、私は思い切って父を旅に連れ出した。

思い出の風景は、変わらずそこにあった。
そしてその場所で、かつてとは少し違う立場でその光景を眺めながら、
新しい思い出を重ねる。

やがてこの日をまた、振り返る日が来るのだろう。
それを想像すると少し寂しいけれど、
きっとまた、風景は気持ちを慰めてくれるような気がしている。

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